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瀬戸内海には三十近い島がある。美術館のある直島。数年前、産業廃棄物の不法投棄で話題になった豊島。島にひとりの医師しかいない粟島などがある。

今回は直島と粟島を訪ねてみた。ご存じの方も多いと思うが、直島はあの建築家・安藤忠雄氏が、ベネッセアートサイト直島という大きな美術館を創り、若い人たちに人気がある。

町のなかにいくつかの作家のプロジェクトによる作品が、古い一軒家を改造して数点展示されていた。そんななか、昔からあった寺の跡地に、直島で使われている焼杉板を使って安藤氏自身の手で建てられた、南寺がある。

中に入ると真っ暗なスペースが広がっているだけだった。とにかく何も見えないのだが、黙って静かにしていると、普段の日常でのことがすっかり忘れられ、深い記憶に触れるようなやすらぎを感じ始める。静寂な無限空間。おそらく安藤氏のねらいはこのへんにあるのだろう。

目がなれてくると、正面らしきところに長方形の壁のくぼみがぼんやりと浮かび上がってきた。長く忘れられていた人に出会ったような至福感がそこにあった。何も見えない暗闇が、こんなにも人を安らぎに導くものであることを初めて知った。

この島で魅力のある人に出会うことができた。

新聞記事で、粟島に三十四歳のときから五十年近くも、お年寄りの面倒を見ている人がいると読んで訪ねてみたのだ。

塩月健次郎さんである。島にはひとりしか医師がいないこともあり、モーターボートで隣の島に出向くこともある。単身でこの島に暮らしておられるが、近所の人たちが何かと差し入れに来てくれるそうだ。

この島には寝たきり老人がひとりもいないことも、いかにこの島が高齢者の健康に良いかという証明にもなる。車がほとんどないことと、毎日皆が島を歩くということが、健康の源になっているのだろう。

最近はこの島に他県から登校拒否の子供たちが来ているそうだ。最初はなじめない子供たちも、半年もするとのびやかな、いい顔になっていく。

塩月さんは医師としてだけはでなく、この島の人生相談の師でもある。

先生は「その人の人生観が死に方につながる」とおっしゃっている。やはり多くの人の死を自分の眼で見、手で触れてこられた人の言葉だと思えた。

数日間ではあったが、この島の土を踏み、風の匂いを嗅ぎ、樹声を聴いているうちに、いつもとは違うシャッター音になっていた。

写真:直島
初出:「キヤノンサークル」2004年12月号