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もし、この世で異界を見たいとしたら、ひょっとしたらこんなところかもしれない。そう思わせるのが、この恐山だ。

まるで地獄絵の一部を見るかのような、私が初めて見る光景であった。

行く前は私も半信半疑で、そのような場所だろうと想像はしていたが、青々とした両脇の森林を車で走り続けていると、ガラス越しの風景とともに、いつの間にか不思議な気分になっていた。

七月も中旬を過ぎているのに、紫陽花が冥土の飾り花のようにたくさん咲いていた。そんな光景のなかを走っていると、遠くに三角形の大きな山が見えてきた。この山が、恐山の湖の向こうにある大尽山らしい。少し霧がかかって見えるため、なおのこと霊界に誘い込まれるような、怪しい雰囲気をたたえていた。

山を下って二十分も走ると、朱い太鼓橋が見えた。これがあの、三途の川を渡る橋である。この世とあの世をつなぐ橋。人は亡くなると一七(ひとなのか)のうちに冥土に行くといわれている。

五、六分も歩くと、これまでまったく見たことのない異界がそこにあった。まわりの岩々から硫黄の匂いとともに白い煙が出ており、岩によってはブツ、ブツと小さな音を出しているのが聞こえた。

白い布でほっかむりをして、前かがみで歩いているお年寄りたちが、この世の人に見えないのも不思議である。塩屋地獄、どうや地獄、それに五体並ぶ五智如来などを過ぎ、はし塚の向こうに、真っ青な湖が見えてきた。

鏡のような湖の波打ち際は、硫黄で黄っぽくなっていたが、湖のまわりにはビスケット、果物、お酒、お水、それに餅などの供物が並べられており、その周辺には、赤い風車が勢いよく回っていた。

こんな光景を目前にすると、ほかの誰でもなく、亡くなった母の、それもこの世に未練を残した、悲しげな顔が浮かんできた。いつも一緒にいられなかった母ではあったが、私が五、六歳のころ、亡き父の墓参りに、町はずれにある墓地に連れて行ってもらったことがある。

墓の前には、すでに二個のミカンが供えてあった。そのときの母は、黄色い菊を持っていた。その菊のツーンと鼻にくる匂いが、この恐山でしたような気がした。

写真:青森県下北半島/三大霊場 恐山 極楽浜
初出:「キヤノンサークル」2004年9月号