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闇、光がまったく見えない状態。

そんな闇を久しぶりに眼前した。場所は京都から一時間ほどの鞍馬の先、花脊である。

この花脊を知ったのは、二十五年ほど前、ある雑誌で白州正子さんが花脊の“松上げ”を見て感動したことを書かれていたからだ。もっとも当時の松上げは、いまでは廃止され、少し離れた山村の八桝と広河原で、いまもひっそりと続けられている。

八月十五日の夜、私は京都の五山送り火を見ないで花脊に向かう。車で一時間も走ると、まわりは山や田畑らしいが、暗くてはっきり見えない。鞍馬まで来ると遠くに灯が見えたのでほっとした。

八桝に着いたのは予定よりも早く、八時四十分ごろだった。集落の橋の手前でテントを張って、村の人たちが冷えたビール、トウモロコシ、枝豆などを売っていた。この素朴さが本来の祭りの姿だろう。

“松上げ”祭りを簡単に説明しておこう。

広い平地に二十メートルくらいの“灯籠木”が立てられている。天辺に大きな籠が取り付けられており、その籠の中に火のついた荒縄を投げ入れる。極めて単純な催しなのだが、実際に現場で見ると、妙な興奮がして驚いた。

私は男衆の集っている河原近くの小さな公民館に向かった。途中の民家の前に、闇夜なのに白く輝いているものが見えた。それが一晩で枯れてしまうという、あの“むくげ”の花だった。

公民館には、はっぴ姿の男衆が数十人。腕には小手を付け、鉢巻き姿の威勢のいいいでたちで集まっていた。外では焚き火が赤々と燃えていた。男衆は次から次へと一本、一本火のついた薪を持って会場である河原へと向かっていた。

闇の河原には二メートル近い竹の先に松明をつけた地松が、二メートルほどの間隔で、二百本近くも立っていた。それらに数十人の男衆が一本、一本にすごい勢いで火をつけていく。

あたりはたちまち火の海になった。この世にいるとは思えない、ほんの一瞬の出来事だった。

やがて長老が太鼓を打つ。松上げの始まりである。数十人の男衆が松明に火をつけて、オリヤイッツチヤー(俺が一番)と言いながら大籠に投げ続けている。

この祭りを必死に伝承しようとする男衆たち姿は、火の勢いに負けていなかった。

写真:京都府左京区花脊八桝町/花脊の松上げ
初出:「キヤノンサークル」2004年8月号