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最近、大人たちだけでなく、子供たちのあいだにまで、凶悪な事件が多すぎる。私たちの時代とは違い、いまは物質的に豊かになり、便利な暮らしができているはずなのに、携帯電話やパソコンなど、目先の満足が多すぎて、それらが犯罪の道具にもなって、何か本当に大切なものが失われている。それにより、精神的に不満足な若者が増えつつある。

しかし、地方の田舎に出向き、いろいろな祭りを撮っていると、まだまだ少年や若者に勢いがあり、素直ないい顔に出合い、ほっとしてしまう。

そもそも祭りは集団で行うため、ひとりだけ孤立しているわけにはいかない。大きな流れもあるから、一緒にかけ声も出さなければいけない。

そのために、一か月近くも公民館や広場などで踊りや歌の稽古をしなければならない。当然、人との会話、礼儀なども習う。発散するものがあれば、ストレスの“はけ口”にもなる。

今回の魚吹八幡神社の提灯祭りは、姫路から車で四十分くらいで行く網千区宮内にある。この手の祭りは、素朴でほどよい人数であればあるほど、覇気があり、勢いがある。

「チョーサー」のかけ声とともに提灯を振る「提灯練り」は、男衆が上半身裸で熱気がムンムンと伝わってくる。

陽が沈むころには祭り気分も最高潮になり、各町内会の御輿と、三メートルほどの竿の先に「御神札」と書かれた提灯とともに、男衆の列が神社に集まり、いよいよ男の戦いが始まろうとしている。

提灯と提灯が勢いよくぶつかり合い、その都度、それを支える男衆が数人倒れ込むという凄まじさに、見ている観客も「キャーッ」と言って後ずさりしている。撮影している私も、何度も倒されてしまった。まさに肉体と肉体のぶつかり合いだけに、これはもう喧嘩のようだ。

まわりの人たちも我がごとのように興奮している。「エエじゃ持ってこい、エエじゃ持ってこい」という大きなかけ声が、ドスン、ドスンとお腹の底にまで、ズシンと入ってくる。

祭りの熱気のなかで、私はシャッターを押すのも忘れ、興奮の渦のなかで酔いしれていた。

写真:播磨を代表する祭り、同神社の秋季例祭
2005年、春。書き下ろし