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私の事務所が原宿にあることもあり、ときどき明治神宮の森を歩くことがある。

あれだけ騒がしいところにあるのに、あの鳥居を一歩くぐるとそこはまったく別の世界で、私自身がいままでの自分ではなく、明日からの別の自分のように思えてくるから不思議なものだ。

それが伊勢神宮となれば格が違う。二千余年の時を経ているだけに、あの橋を渡る以前に、すでに別の私になっている。

神宮の神馬は、普段はどんな場所にいるのかを知りたくて訪ねたことがある。神社に沿って十数分ほど行くと、馬が走れるほどの広場があった。

そのとき、神馬は二頭いた。一頭は真っ白い毛並みの桜鈴号、もう一頭は茶色で橋澤号といった。調教師の青年が「人間でいえば七十歳ぐらいでしょうか」と説明してくれた。

神馬といわれるだけの風格のようなものと、じつに優しい目をしていたのがいまでも忘れられない。

白馬に近づき、写真を撮ろうとした瞬間、馬の目の中にはっきり私の顔が映っていた。思わず一瞬、シャッターを押すのをためらった。

この伊勢神宮で忘れられないことがもうひとつある。いつごろだったかは思い出せないが、あの美しい五十鈴川で写真を撮っていて、ふと足元にあった黒い石、これがまた見事な丸味で、ちょうど手に乗るくらいの大きさだったので、つい拾って自分のバッグの中に入れて持ち帰ってしまった。

私はとにかく石好きで、オフィスにはいろいろな国や日本の地方の石を本棚の上に置いている。どの石を見ても、それがどこのどの場所で拾ってきたか、はっきり思い出せる。

それに、石の丸味が何ともいえない柔らかさで、ひとつひとつどんな優秀な彫刻家でも、これ以上の形は作れないほどの見事な形を成している。石をゆっくりなでているだけでも妙に気分が落ち着くのだ。

伊勢神宮の石に戻るが、取材を終えて旅館に戻り、その石を机の上に置いて数分もたたないうちに、いままで晴れていた空がどんより曇り、いきなり雷である。思わず石の上にポケットにあった真っ白いハンカチをかけてしまった。

いまでもそのときのシーンは、忘れたころに夢に出てくるから、私のなかではかなり恐ろしい思い出として残っている。

写真:伊勢神宮
初出:「キヤノンサークル」2004年3月号