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第六回 紹興で感じたこと

人は誰でもどこかの地で、それぞれの生活を営んでいる。

この広大な中国のなかで紹興という街は、まれにみる情緒のある街だった。しいて言えば一部日本の京都にも似ていて、路地から家のなかに入るとそこには坪庭のような空間があり、何世帯も住んでいるところもある。営みはつつましいが、とりあえず温もりを感じさせ、私たちはその温もりにほっとするのだ。

中国の各地を訪ねているが、この紹興の街は他にはない妙な漂いがあり、私たちが忘れかけている幼いころの生活の営みが残っていた。道路の端にはコンロが置かれ、魚を焼いている匂いがしてパタパタとうちわをはたいている老婆もいた。道路を掃くのも竹ぼうきで、砂ほこりをたてながら掃いている。この街にはまだまだ自転車が多いことも、中国の他都市と比べゆっくりした時間が過ぎているなつかしさを思わせた。

この六月は日本と同じように木蓮があの洋梨の形をした白い花を咲かせていた。川端には大きな沈丁花が小さい紅い花を咲かせ、水の流れのなかでその紅い花が揺れていた。まわりの高層ビルとは異なり西小路、南小路村で道路には大きな敷石があり、数百年の時間の厚みと同時に、石そのものに深い歴史の跡が見られた。それはこの街を威厳あるものにしていた。

ここに住む老人たちの深い皺の顔は、この地で数十年を生きてきた風格のようなものをにじませていた。それには人を包みこむような優しさがあった。年老いてひとりで生きる厳しさも、何か所かで見た。狭い路地を杖をつき、腰を曲げ、はうように歩いている姿を何回か見かけた。

狭い部屋で寝たきりの老婆もいた。それらは自然の草花が朽ち落ちていく姿とも重なり、それはごくごく自然に映った。私自身がそれらをいとおしいと思うと同時に、私の老いはどんな風になるのだろうと考えたりもした。

その反面、都市の若者と変わらないファッションで、若い女の娘をオートバイに乗せて猛スピードで走っているカップルも見かけた。時は刻々と流れ、この中国でもここ数年、若者像は大きく様変わりしている。

しかし、中国の若者が海外に行くのは、まだたいへんなようだ。外貨の違いも大きいし、都市との給料の格差も厳しい。何人かの若者に聞いてみたが、現状では台湾くらいまでならとの返事が多かった。いずれにせよ、この問題も近い将来には明るくなるだろう。真の意味で中国が国際化されるのもそんなに遠くはない。

旅というものは表面的に見ないで、自分が見たくないものも時には強引に見る必要がある。そうしたときに、その街のそこに住む人たちの真の姿が見えてくる。そして旅をしているという実感が、ごく自然に肌で感じられる。そうなると旅の楽しみにも、いっそう深みが増してくるものだ。