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来場者からの質問

〈 Q1:稲越さんは人物、風景、物、カラー、モノクロ問わず、多岐にわたる作品を撮られていた、という話がございましたが、宮崎さんは個人的に、稲越さんの作風の中でどの写真が最も好きですか? 〉

金子:ひとつに絞れ、ですか。これほど酷な質問はないですね。

宮崎:先程申しましたとおり、どれも稲越がしっかり見えている、と思います。だからあとはご覧になる方の好きずき、になると思いますが、僕はどれを見ても同じように稲越を感じて、同じように好きですので、絞ろうとするとちょっと困ってしまいますね。ただ、やはり「稲越らしい」というのは、益々recent worksになるに従って、より一層稲越らしくなっていった、と思います。ですから最期の「芭蕉景」は素晴らしい、と思います。逆に言えば、40年かかってあそこまでたどり着いた、と。あの先がまだあったわけだし、あの先をもっと極めてゆきたい、と本人も言っていたそうですから、あの先がもっと見られるはずだったと思うと、とても残念ですね。

〈 Q2:展覧会の写真の中に、他の人が撮った写真を稲越さんが撮っている写真がいくつか見られました。ギリシアのパルテノン神殿や、ケネディーの写真です。写真家が他の人の写真を撮るというのは、どのような心持ちなのかお聞きしたいのですが。 〉

宮崎:別にこだわっていない、と思いますよ。「写真がある風景」を撮っていたのだと思いますけれども。

金子:典型的に"Meet again"でテレビを撮っていた、というのもそういった流れの中にあると見てよろしいですよね。

宮崎:そうですね。

金子:どうしてテレビを撮ろうと思ったんですかね。あれは全部アメリカで撮っているのですか?

宮崎:アメリカのホテルに居る時に、テレビに気を惹かれたんじゃないですか。

金子:それでとにかくずっとテレビ画面だけをクローズアップで撮り続けた、と。

宮崎:そうですね。だからブラウン管の中だけ。

金子:まさにブラウン管の中、ですよね。いわゆるフレーム、は見えない。他のポスターや写真を撮っている写真は、「それがある」風景だけども、"Meet again"は「それ」がない「そのもの」の風景で、そこには決定的に違う意識を持っていたのでは、と思うんですけどもね。それはもしかすると、テレビは動いているから、だから中に入っていく、ということですかね。

宮崎:そうですね。動いているものをスティルにして止めてしまう、ということもあったのかもしれませんね。

金子:風景としての意味、は大分違いますね。"Contemporary Photographers. Toward a Social Landscape"の中にも出ている、フリードランダーという人が「テレビのある風景」というシリーズを60年代の半ばに出していますけども、それを別に意識してないでしょうね。ひたすら面白くて、ひたすら撮り続けた、という気がします。そういう意味では、「写真をストレートに追求したらどうなるんだろう」という感じがします。

宮崎:対象は自分のものではないんですよね。自分の写真の為に対象を世界から借りて来る、ということですから。だからその対象が、誰かが撮った写真だった、というだけのことなんですよ。

金子:全ての対象は等価なものである、という意識ですか。

宮崎:風景にしろ何にしろ、全部そうですね。そして自分のものではない。

金子:その「借りてくる」という考え方は、「写真を撮ることによって自分が所有する」ということとは違いますよね。言い得て妙だな、と思いました。

宮崎:借りてきた「そのものだけ」を伝えようとは思ってませんから。結局それをひとつのきっかけとしてモティーフにしながら、一枚の写真として投げ出した時に、その写真そのものが今度はどう生きるか、ということだけを考える、ということですね。稲越の言う「心の眼」は、それについての「予感」のこと、かもしれませんね。

金子:なるほど。だから「借りてくる」、という表現なのですね。

宮崎:言語も全く同じですね。コミュニケーション・ツールとしての「日常の言語」と、言葉そのものに因る「詩的言語」との違い。言葉そのものも自分が創ったわけではなく、それを借りてきて、ひとつの言語現象を創ること。それが「詩的言語」ですよね。だからやはり写真は、詩的言語に近い、と思いますね。

金子:かなり深い写真論を伺えた気がします。

まとめ

金子:宮崎さんのお話を伺っておりますと、写真とは単純なことではなくて、モノを創ることとか考えてゆくこととか、そういうことがそのまま稲越さんの写真に関する考察になっている、と思いました。だからこそ、稲越さんと宮崎さんの交友関係があったのだなぁ、と思いました。

奥様のお話を聞くと、「なんだかいつも宮崎さんがふらっと来て、ずうっと話して帰っていって、日を空けずにまたふらっと来る感じでした。一体何を話しているんでしょうね」とおしゃっていました。

宮崎:あまり話してはいないんですね。稲越も僕もあまり話す方ではないですから。改めて稲越の写真を考えて言葉にしようとした時に、彼と一緒にそういった話をした記憶がないくらいですからね。一体、何を話していたんでしょうね。

金子:今日お話を伺って、宮崎さんの考えていることや宮崎さんのお立場が、稲越さんにとっても自分自身の写真を捉え直す時に「影響」と言いますか、良い関係があったのだろうな、と感じました。とにかくしょっちゅうお話ししていたのは確かなのに、何をお話していたかを覚えていない。そういうことなんだろうな、と。討論やディベートをして何か結論を二人で見出していた、というのではなくて、まさに話をすること自体が目的だったのではないかな、と思うし、それは稲越さんが「何かを撮る」のではなく「写真を撮る」ということと一緒なんじゃないかな、と思いました。

そして稲越さんは、「写真になったら何になるのかが知りたくて」写真を撮っていたのではないだろうか、と思いました。冒頭に宮崎さんは、「写像装置」という言い方で写真家・稲越功一を名付けましたが、まさにそういうことだと思います。

本日は、本当にありがとうございました。

(了)