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全体を「かすめとる」稲越功一の「風景」

金子:"Meet again"という写真集は、それまでの写真・写真集とはかなり違うというふうに思われたと思うんですが。

宮崎:それは"Meet again"が何を被写体にし、何を風景としているのか、ということですね。テレビのブラウン管ですからね。「テレビのある風景」というのはそれまでにもありましたけれども、「テレビの中の風景」もひとつの風景だということですね。既成概念に縛られることなく、その都度惹かれることに対して素直にそれに従って写真にしている、というね。

金子:特にロバート・フランクや、"Contemporary Photographers. Toward a Social Landscape"のフリードランダーやウィノグランドらの写真というのは、似てはいるけれどもそれぞれ何か決定的に違う、ということがありますね。

宮崎:それぞれ対象としているものは極めて日常的で、何の事件があるわけでもなく、そこに対象の規制もない。対象を伝えようとしているわけでもなく、一枚の写真としての面白さ、ということですね。

金子:稲越さんの写真も、ソフト・フォーカスであろうとシャープな写真であろうと、カラーであろうとモノクロであろうと、人が居る風景だったり人の居ないモノであったり。一切関係なく全て「写真である」ということに尽きる、と言い換えてもよろしいでしょうね。

宮崎:そうですね。例えば中国に行きますね。しかしそれを取り立ててドキュメンタリーにしようとかいう視点で撮っているわけでもなく、極めて私的なものとして撮っていますね。しかしそこに行くと彼が惹かれるものがきっとあるのでしょう。彼の写真を見ると、ひとつひとつがバラバラであって、物語的なものは何もない。彼はモノも人物も撮っていますが、おそらく彼の無意識のうちに、モノや人物以外の部分、画面全体をきっちり隅々まで撮っていますね。

金子:魯山人の写真集(「野に遊ぶ魯山人 四季のうつわ /梶川芳友共著」)は、単なる「ブツ撮り」とは全く別の世界ですものね。

宮崎:外に持ち出していますからね。そして四季折々で撮っています。随分時間をかけて撮っていますね。

金子:ですからあれはもう、「風景」だ、と。

宮崎:風景と重ねながらモノを撮っている、という感じですかね。その風景も季節を織り込みながら、という長い時間をかけた丁寧な仕事ですね。

金子:稲越さんの写真は、対象を凝視して分析的に見ていくのではなくて、全体をフッと「かすめとって」しまうような、そんな写真ですよね。アルバイトに来ている女子学生が、稲越功一さんのことを全然知らなかったけど写真展を見てとても面白かった、と言っていました。何が面白かったのかを聞いたら、「変な意味ではないんですけども、すっごい匂いがあって良かった」と言っていましてね。なるほど、そういう捉え方もありだなと思いました。いま話に出た魯山人の写真集でも、器の形そのものを撮るということではなくて、その中にあるものを「かすめとる」ために外に置いて、場所と時間と季節を選ぶことによってモノ自体を写真の中に「かすめとる」。そんなことが出来る人なんじゃないかな、と思いますね。

宮崎:そうですね。中期以降は特に、稲越の写真は独特のものと言いますか、他に振り替え様のない独特の世界でしたね。人物を撮ってもモノを撮っても、カラーであれモノクロであれ、何を撮っても同じテイストをもっていました。

金子:「記憶都市」は、プリントをつくる時にソフト・フォーカスにしているんですよ。ですから黒が滲んでいる。撮影の時にソフト・フォーカスのレンズで撮ると、白が滲みます。そういう表現の技法は、資生堂の初代社長である福原有信が「パリとセーヌ」という、日本のピクトリアリズムを代表する写真で使った技法なんです。そのことを稲越さんがどこまでご存知だったかは解りませんが、歴史的には70年以上前にごく普通に使われていた技法を使われたわけです。
稲越さんの本棚やオフィスに飾っている写真を見てみますと、例えばアウグスト・ザンダーの「時代の顔」の写真があったりしましたが、いわゆる「写真の歴史」ということや「写真の総体」に対してすごく知っているというか、そういう意識をとても持っている方なんだなと感じました。一生懸命勉強したのではなくて、そういった資質を持ち得てしまう方だ、ということを、稲越さんの写真に接すると感じるんですよね。そこら辺が「前の世代」の方々とちょっと違うのではないでしょうか。ですからあれ程までに、自由に作品をつくることが出来たのではないでしょうか。

目次

リー・フリードランダー(FRIEDLANDER, Lee)
1934年、アメリカ、ワシントン州生まれ。ロバート・フランク以後のアメリカ新写真時代の中心的人物。代表作 "Self Portrait (1970)"、"American Monument (1976)"、"Photographs (1978)" など。

ゲイリー・ウィノグランド (WINOGRAND, Garry)
1928年、アメリカ、ニューヨーク生まれ。1984年没。フリードランダーと並び、60年代以降のアメリカ写真界を牽引する。スナップショットを手法とし、都市生活者の複雑な人間性を写真に定着させた。その最期までマンハッタンを撮り続け、死後膨大な量の未現像フィルムが発見された。

アウグスト・ザンダー (SANDER, August)
1876年、ドイツ生まれ。1964年没。 『Antlitz der Zeit(時代の顔)』は、 Menschen des 20. Jahrhunderts(20世紀の人々)』というシリーズからセレクトされた60枚の写真。ザンダーは、写真によって「あらゆる」人物のポートレイトを撮影し統合的に「時代の顔」ひいては「20世紀の人々」を写真に定着させようという壮大な試みを続けた。



「Out of Season」より