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「記憶都市」から「芭蕉景」への繋がり

金子:稲越さんの「記憶都市」というシリーズはとても不思議で、私は初めて本を見た当時、「これは何なのだろうか」「何でこんなことをわざわざするのだろうか」と思いました。当時は何度も繰り返し見返すということを正直言ってしなかったのですが、今回展覧会を企画する中でもう一度、特に "Maybe, maybe" と "Meet again" の流れの中で「記憶都市」を見ることになりました。その時に、いわゆるソフト・フォーカスという「様式」を取り入れた、ということではなくて、「こういう写真もあり得るんだ」というふうに私には見えてきました。

宮崎:そういう自由が許されていた、というか。

金子:そうですね。

宮崎:写真そのものが解放されている。だから何をやってもいいわけで、自分の感性の赴くままにやっていかれる時代になった。稲越は写真の「過去」から刺激を受けながら、それを自分の写真の中に織り込むということもしてゆきましたね。ずっとストレート・フォトグラファーであったことには変わりないのだけれど、そこの中に写真の歴史の「記憶」、あるいは「ピクトリアリズム」のような写真の「過去」を織り込んでいった、とも考えられると思います。「記憶都市」も、そういった文脈なのかもしれませんね。

いきなり最期の作品に話が飛んでしまいますが、「芭蕉景」が最も典型的といいますか、あそこまで結局彼は行き着いた。「芭蕉景」は最も稲越らしく、最も彼が写真の歴史の記憶というものを織り込みながら、彼の感性と美学で捉えた写真だと思っています。特に「芭蕉景」で顕著なのは、「何を撮ったのか」と対象を見定めることが出来ない写真ばかりなんですよね。そしてあの写真は言葉には変えようもない。写真でしか見せようがない。写真以外の何ものでもないものですよね。最期に私たちに「芭蕉景」を残してくれたのは、彼の大きな功績だったと思います。それに至る途中に、例えば「記憶都市」があり、"Ailleurs"があった。そういった試みをしながら、最期の「芭蕉景」に至ってもやはり変わらずに、ストレート・フォトグラフィーの精神というものが流れていると思いますね。だからあれ程しっかりとした写真になっているのではないでしょうか。一見静かな写真ですけれど、強くて美しい。

世代の違い

金子:60年代に写真家としてスタートした人、例えば立木義浩さん、大倉瞬二さん、森山大道さん、柳沢信さんなどの写真に対する立ち位置と、70年代に入ってからスタートした人々、例えば稲越さんや宮崎さん、浅井慎平さんの写真に対する考え方や意識・感性の差は、とても大きいのではないでしょうか。

宮崎:それは感じますね。例えば大倉瞬二は、稲越の写真を、特に「芭蕉景」をとても褒めますよ。実は大倉もそういった感性と近いところに居たと思うのですけれども、彼は極めて社会的なテーマを撮った。どうしてもそういった「写真のもつ社会的な役割」を大事なものとした。しかし稲越の、特に晩年の写真は好きなんですよね。ですからやはり私たち70年代以降の世代は、ロバート・フランクや"Contemporary Photographers. Toward a Social Landscape"の体験に支えられているんだと思いますね。

金子:"The Americans" がフランスで出版されたのが1958年で(フランス版、初版)、59年に英語版が出ます。当時日本にはその英語版はほとんど入ってこなくて、50年代の末から60年代のはじめに日本人が見ていたのは、フランス版なんですね。フランス版には写真と同時に、アラン・ポスケという人が書いた社会学的なテキストを併せて載せています。しかし、アメリカ版にはそういった社会学的なテキストは載っていません。

宮崎:僕ら70年代以降の世代は、フランス版を知らない世代なんですね。アメリカ版しか知らない。

金子:そうなんです。それは、「すごく違う」ことなんです。

宮崎:そうかも知れないですね。

金子:要するに、写真家が写真をスタートした時の、「最初のロバート・フランク経験」がどっちでスタートしているのかで、すごく違うんだなぁということを認識しました。

宮崎:我々70年代世代は、アメリカ版で初めて"The Americans"を見たということですから、我々はフランクの「極めてプライベートな視線」を見てたんですね。

金子:それしか見えてこないんですよね。

宮崎:社会的な視点を対象にしているけれども、それは見えていない。というか、見ていない。

金子:そうなんです。アメリカ版のジャック・ケルアックの文章を読んでも、そんなことひとつも書いていないんですからね。ところが、フランス版を見てみると、アメリカの社会的な光景や背景について書いてあったり、様々なアンケート、例えばセックスについてのアンケートのデータや抜粋が載っていたりする。要するに、「これはアメリカというものを知る為の本である」ということが認識としてあるわけです。それはアメリカ版のように純粋に「写真」として見るのと全然違っているんですね。もうひとつとても大事なことは、69年にこの "The Americans" が日本の洋書屋さんに並んでいる同時期に、66年に出た"Contemporary Photographers. Toward a Social Landscape" という写真集も一緒に並んでいるんですよ。ですから、大抵皆セットで買いましたものね。

宮崎:僕もそうでした。

目次

「記憶都市」より



「Ailleurs」より



立木 義浩(たつき よしひろ)
1937年徳島県生まれ。代表作は「舌だし天使」(1965年「カメラ毎日」)、 写真集『イブたち』『私生活/加賀まり子』『家族の肖像』 など。

大倉瞬二(おおくら しゅんじ)

森山大道(もりやま だいどう)
1938年大阪府生まれ。代表作 『にっぽん劇場写真帖』、 『写真よさようなら』、 『遠野物語』、 『犬の時間(とき)』、など。

柳沢信(やなぎさわ しん)
1936年東京都生まれ。2008年没。代表作、 『都市の軌跡』、『写真・イタリア』など。

浅井慎平(あさい しんぺい)
1937年愛知県生まれ。代表作 『ビートルズ東京 100時間のロマン』、「焼酎いいちこ」の広告写真シリーズなど。