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写真とは、瞬時の出会い、瞬時の反応

立松:冒頭にお話ししました、新疆ウイグル自治区の大草原に座り込む男たちの作品ですが、どれくらいの時間をかけて撮っていらっしゃるんですか。

稲越:私の場合は瞬時に判断して撮っていきますから、撮影自体は30秒もかけていないと思います。本当に感動したものがあったら、さっとカメラを構えて撮ればいいわけですから、時間にしたら、ほんの一瞬なんです。
撮るときに大切なことは、自分の心がどこにおもむいているかということだと思います。あの長老たちに出会ったときも、「わーっ」と思って、素直に「美しい! 強い!」と感動したんです。本当に、素直に。
写真というものは、技術で撮るのは限界があると思うんです。まず、自分が被写体のどこに感動するかということ。そういう思いがあれば、どなたでもいい写真が撮れると思います。

立松:瞬時の出会い、瞬時の反応で撮っていかれるのですね。それから魚の写真が何点かありました。あの写り具合が、なんとも不思議な感じがしていて、どういうふうに撮ったんだろうという興味が湧きました。私も昔は写真が好きで、写真小僧だったものですから、興味があるのですが。ああいう写真は、特別な技術で撮影されているんですか?

稲越:いいえ、特別なことは何もないですね。魚なら魚の、どこに自分の気持ちが傾いているかということだけが、問題なんですね。そうすると、魚の目を見ているとね、どれも同じに見えるかもしれませんけれど、それぞれ違う目をしているんです。とても悲しそうな目をしていたり、生き生きしていたり。彼らそれぞれに違う物語があるはずなんです。
露出補正をどうするかとか、そういう理屈や技術が先行してしまうと、こういう写真にはなりません。ああいう風に撮るのが、稲越功一の流儀なんですよ。

立松:あの魚はコイですね。たかがコイ、というとコイに怒られるかもしれませんが、コイにも人格が宿っているように撮ってしまうというのは、やはり写真家の目で見ていらっしゃるからですね。中国は中国、コイはコイなんだけれども、それがすべて「稲越功一の世界」になっているところに感服しました。こういう写真は、撮れそうで撮れませんよ。

稲越:芭蕉の作品もそうでしたが、今回の作品「遠い雲、中國」は、いまの自分だから撮れた、ということはあると思いますね。もし私が40代のころだったら、こんなふうには撮れなかったんじゃないか。そう思うんです。生意気なこと言わせていただくと、この年になってようやく、もののあはれ、はかなさのようなものがわかるようになって、そういう感覚が、感情を動かすのかなと。風景に対しては、強引ではいけないと思います。感謝の気持ちみたいなものが欠かせない。「撮ってあげる」のではなく、「撮らせていただく」という気持ちですね。そういう気持ちで向き合うと、風景が応えてくれるような気がしますね。
自分と風景の思いが、合体してくれる。それは40代のころにはできなかったと思うんです。若いときは自分と風景の間に距離があったんです。

立松:それを悟りの境地というのではありませんか。

稲越:いやいや、そこまでは(笑)。

立松:カメラって、しょせん機械でしょう。それなのに、人と自然の思いが、写し込めるというのはすごいことだと思うのですが。

稲越:カメラは、私にとっては、機械ではなく、キャンバスですね。真っ白のキャンバスに、どのように色を付けていくか。それが私の場合は、たまたまカメラだったんですよ。たしかに立松さんがおっしゃるとおり、カメラそのものは機械なのですが、私にとってはただの機械ではないんです。
カメラは自分の分身なんですよ。手の延長。カメラと手は別物ではないんです。私はキヤノンの「F-1」*5というカメラを何十年も愛用していました。それは手にすると、温もりさえ感じるような、まるで自分の子供のような愛着を感じるんですね。それがアナログのカメラの良さなのしょうけれど、最近の電子部品がたくさん使われているデジタルカメラには、なかなかそういった感覚が得られないんですね。
でも、写真は写真です。デジタルもアナログも関係ないと思っています。今回ご覧いただいた作品でも、当然デジタルカメラを使っていますが、それでもアナログの温もりを伝えられる写真を撮っていきたいと思っています。

立松:私は小説を書くとき、万年筆を使うんですよ。いまどき時代遅れですけれど。だけど、万年筆に心が宿っているような気はしません。私がいまだに万年筆を使っているのは、じつはパソコンが苦手だから、というのが本当なのですが(笑)。
万年筆の良さってね、身軽だということです。私は旅をすることが多いですから、万年筆ならどこにでも持ち歩けます。なんで万年筆なんですか、って聞かれたら、かっこいいウソでね、「万年筆のペン先から森羅万象を感じるからです」って答えるんです。それらしく聞こえるでしょう(笑)。でもそれは、あながちウソではないんです。道具を通じて何かを伝えるわけですから。さきほどカメラは機械だとお話ししましたが、カメラにも同じことが言えると思いますね。

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*5 キヤノン「F-1」
1971年に発売された、キヤノンの一眼レフカメラ。5年もの歳月、数十台分の開発費に匹敵する膨大な投資と労力、キヤノンの技術の総力を結集して誕生した名機。酷使に耐え信頼性あるカメラとして、プロカメラマンをはじめとする多くの写真愛好家に受け入れられ、部分改良が一度行われたが10年間生産販売された。