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おくだ:稲越さんが最近ご覧になったもののなかで、ベストといえるのは、どんなものがありましたか?

稲越:そうですね、まずは葛飾北斎の展覧会*15。それから画家ゲルハルト・リヒターの展覧会*16。写真家・杉本博司さんの写真展*17。
 表現スタイルは三者三様ですが、こういう素晴らしいものを見ると、もっともっと努力しないといけないと思いますよ。ときとして自分を過信するときがあるじゃないですか。それではだめで、世界的レベルに掲げられたハードルの高さを知っておく必要があるわけです。自分のずっと先には、北斎や、リヒターや、杉本さんがいるという意識を持っていないと。
 たとえば歌舞伎座の解説のお仕事になぞらえるなら、大ベテランの解説者である小山観翁さん*18がいらっしゃいます。でも、おくださんが小山さんと同じことをやっていたら、それはおくださんが解説する意味がありませんよね。若いおくださんなりの解説のスタイルがあるでしょう。
 おくださんの解説を聞いた小山さんはきっと、「おくだくんの解説は新鮮だな。ぼくも勉強してみよう」と思うかもしれません。互いに刺激し合って高まっていければいいんじゃないかな。
 ぼくは、ぼくよりももっとすごい写真家、土門拳*18、木村伊兵衛*19、野島康三*20みたいな偉大な先輩がいて、いまのぼくがいると思うんです。「いさせてもらっている」と言ってもいいかもしれませんね。
 いいものは積極的に認めて、若い人であっても、いいものには「素晴らしい!」と賞賛したい。それを認めないで、排斥するような古い業界の考え方は、ぼくは好きじゃないんですよ。
 いいものはいい。それを認めて、学ばせてもらうことによって、自分を高めることができるじゃないですか。

おくだ:新しいものを受け入れられる、正当に評価できるためには、その人自身がつねに戦っている人でないといけませんよね。つねに自分を磨き、高める努力をしている人じゃないと、いいものに「いい」と言うことはできないと思います。

稲越:表現ということについて言えば、ぼくよりも写真をうまく撮る人なら、世の中にはいくらでもいるんです。でも、ぼくをぼくたらしめているのは、何を志して、どういうところに向かおうとしているのか、という志の違いだけですよ。
 志せばできるわけではないのだけれども、志を持つ、そういう精神を持てるかどうかが、大きな違いだと思います。

おくだ:歌舞伎の解説にも共通したところがあると思います。ある演目を分かりやすく説明することだけに目標を置くのではなく、解説を聞きながら歌舞伎を見ていただき、何かを感じとって歌舞伎座から家路についてもらいたいんです。そこまで目標を高くするのとしないのとでは、解説の仕方も内容も違ってくるでしょう。
 もっと言えば、私の解説で歌舞伎を見ていただいたお客さんの人生観にまで影響するような、大きなものを届けたいですね。それを目指して解説に取り組みたい。単なる説明、解説で終わらせるだけではつまらないですから。
 説明するだけで終わりにしてしまうぐらいなら、歌舞伎に対して申しわけない気持ちがします。

稲越:そういう思いが歌舞伎に関わる人にあるから、歌舞伎というものは高まっていくのでしょうね。たとえば同じ「俊寛」*21を演じても、松本幸四郎さん*22と中村吉右衛門さん*23とでは、ぜんぜん違うものになります。同じセリフ、演じる内容も同じはずなのに、まったく違ったお芝居になるんです。
 それはどういうことかというと、歌舞伎に対するその人の熱意だったり、物語をどう読み、どう消化したか。それが演技に現れるんでしょうね。
 その役を通して、演じている人間そのものが見えてくるのが面白いです。舞台から、役者の日常まで見えてくるような気がします。映画のように編集ができないから、舞台上では役者のすべてがハダカになってしまう。舞台っていうのはこわいですね。だから、面白い。

おくだ:見ているこちらの内面も映ってしまう。舞台に反映されてしまうところがあると思いますよ。
 稲越さんがお撮りになった歌舞伎の作品を拝見しますと、役者が目の前に立っているような感覚があります。まず、シャッターを切る前に、舞台をよく見ることを大事にされているのではないかと思います。
 それから「当たり前」の場面はお撮りにならないんですね。稲越さんの写真集は、歌舞伎のいわゆる「名場面集」ではないんです。そこがすごいと思うんです。
 たとえば先ほど「俊寛」の話が出ましたが、主役の俊寛のわきで、数名がボソボソと話し込んでいて、俊寛がしょぼんとうなだれているシーン。
 決して俊寛の見せ場ではないのですが、芝居を見ている稲越さんが、何かを「感じた場面」なのでしょうね。その感じた場面をさっと切りとっていらっしゃるんですよね。

稲越:主役の役者は、セリフをしゃべっているときが演技ではないんです。相手の話を黙って聞いているときも、また演技なんですよね。
 私たちの日常生活でも同じですよね。話している人だけが主役ではなく、黙って聞いている人も同じく主体となりうる。歌舞伎役者もセリフをしゃべって所作しているときだけが演技ではないんです。だからそういう場面に目がいくのかもしれません。

おくだ:とくに吉右衛門さんは、セリフがない場面、聞いているときの演技が際立っている役者さんですからね。あれだけセリフに魅力がある人が、聞き役に回ったときのすごさというのがあるんですよ。 
 稲越さんと出会ってから、自分でもカメラを触るのが好きになりましたよ。いつもコンパクトカメラを持って、気になったものを撮っています。
 カメラを持っていると、何かきれいなものに出会えたときに、うれしさがあるんですよ。カメラを持っているのと、持っていないのとでは、感じ方が違うみたいです。写真が毎日を豊かにしてくれる感覚がうれしいですね。

稲越:おくださんはなんでもできる、ある種のエンターテナーみたいなところがあるんです。演歌もジャズも、オペラも歌えちゃうようなね。これからもご自分の信じる道をどんどん極めていってほしいと思いますね。凄味を増していっていただきたいと思います。

おくだ:これからも稲越さんとは、相撲のぶつかり稽古みたいに、ぶつかり続けていきたいと思います。

稲越:ぼくもおくださんに一気に寄り切られないように、足腰を鍛えておきますよ。今日はどうもありがとうございました。

(了)

目次

*15 葛飾北斎の展覧会
2005年10月から12月まで東京国立博物館の平成館 で開催された「北斎展」。葛飾北斎は「冨嶽三十六景」や「北斎漫画」など数々の傑作を世に 送り出した浮世絵師。

*16 ゲルハルト・リヒターの展覧会
ドイツの現代画家、ゲルハルト・リヒター(1932-)の40年にわたる画業を展観する日本初の回顧展「ゲルハルト・リヒター ─絵画の彼方へ─」。2005年11月から2006年1月まで、川村美術館で開催された。

*17 写真家・杉本博司さんの写真展
2005年9月から2006年1月まで森美術館(六本木ヒルズ)で開催された「杉本博司:時間の終わり」。杉本博司は、世界のフォトアートシーンを代表する写真家。

*18 土門拳
1909-1990。日本の写真家を語るうえで、木村伊兵衛と並んで欠くことのできない巨匠。「リアリズム写真」と呼ばれるスタイルを確立したといわれ、数多くの傑作・名作を残している。代表作は「筑豊のこどもたち」「古寺巡礼」など。

*19 木村伊兵衛
1901-1974。土門拳とほぼ同時代を生きた稀代の写真家。「ライカの名手」といえば木村伊兵衛。昭和という時代を見つめ、深く切りとる眼の鋭さは、時代を超えた凄味がある。

*20 野島康三
1889-1964。日本の戦前期を代表する写真家のひとり。1932年には中山岩太、木村伊兵衛らとともに雑誌「光画」創刊にも関わる。

*21「俊寛」
歌舞伎の人気演目、平家女護島「俊寛」のこと。平家討伐を企てたことで島流しとなった俊寛僧都の物語。

*22 松本幸四郎さん
テレビドラマや、「ラ・マンチャの男」や「王様と私」などの舞台もこなすなど、幅広い分野で活躍する歌舞伎役者。長男は歌舞伎役者の市川染五郎。長女は女優の松たか子。

*23中村吉右衛門さん
一般的には、テレビ時代劇「鬼平犯科帳」の主人公・長谷川平蔵役で知られる歌舞伎役者。屋号は播磨屋。写真集「中村吉右衛門播磨屋一九九二〜二〇〇四 」(求龍堂刊)は、稲越功一が撮影を担当。またこの写真集に収録された中村吉右衛門さんと稲越功一の対談は、おくだ健太郎さんが進行役をつとめている。必見、必読。