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稲越:歌舞伎を見ていてすごいなと思うのは、歌舞伎の役者さんの素晴らしさなんですよ。現代の演出家、野田秀樹さん*11が演出した歌舞伎「野田版ねずみ小僧」では、彼が要求するスピーディーな動きにも歌舞伎役者の皆さん、たとえば中村勘三郎さん*12中村福助さん*13、は、きっちりと対応していらっしゃいました。あれはすごい。改めて感激しましたね。

おくだ:歌舞伎のオーソドックスな出し物の動きはゆっくりですから、歌舞伎役者はああいう動きしかできないと思われているかもしれませんね。そう思うと、野田秀樹さんが演出された舞台には、びっくりされたかもしれません。しなかやで、俊敏で、それでいてきちっと見せる。プロとしての仕込みができている。
 いま「プロ」ということが、ともすれば評価されない時代ではありませんか?

稲越:大河ドラマを見ていても、若い役者の所作が、どうもしっくり見えないことがありますね。歌舞伎の世界では、3歳ぐらいから厳しい稽古を積んで、所作ひとつにしても磨きがかかっているんですよね。だからテレビドラマに出ても、ブレがない。写真はブレてもいいんですけれどね(笑)。
 プロといえば、おくださんは歌舞伎解説のプロフェッショナルですよね。イヤホンガイドなどで解説するときは、どんなことを心がけていますか?

おくだ:自分なりの芝居への感じ方を大切にした解説でしょうか。たとえば「勧進帳」*14などは決まった形のお芝居ですから、表層をなぞるだけでは、誰がやっても同じ解説になってしまいます。ですから、主観的に感じたままガイドしたほうが、かえって控えめな解説ができると思うんです。
 自分なりの解説のスタイルを完成に近づけていくには、先ほどもお話ししたように、いつもアンテナを張り巡らして、いろんなジャンルのお芝居や映画、音楽などに触れていないと。そういうことをぼくは稲越さんから学んでいるんだと思います。

稲越:いまおっしゃった「勧進帳」もそうですけれど、弁慶と富樫の関係や、物語の骨格そのものはすでに形が決まっていることなわけですよね。それをイヤホンガイドで解説するとき、解説する人の「私」としての言葉が入ってくるから芝居が面白くなる。
 見る側もそうです。芝居をどう読みとるのか。そういうちからが問われていると思うんです。そのちからが、役者の芸をより深くすることもあると思います。
 いま、文学などの表現が衰退しているといわれていますが、その理由としてまず、表現者、書き手の力が落ちているということがあります。それと同時に、読み手の力も落ちていると思うんですよ。
 昔は一流の読み手、鑑賞者がいたのではないでしょうか。だから書き手にも「こんなレベルでは恥ずかしくて世の中に出せない」という思いがあった。いまは、恥ずかしいレベルの作品でも、どんどん世に出してしまいますよね。それでは文学は衰退してしまうでしょう。
 演劇やお芝居の世界でにもいえることではないでしょうか。たとえば新劇の力が落ちているといえば、見る側の力が落ちているということでもある。写真も同様です。写真にちからがない。それは写真を見る側の目にも問題があるんです。

おくだ:そのお話をうかがって、思い出したことがあります。若手歌舞伎役者が主体の公演で、気になった場面があったんです。
 ひとりの浪人が、乗っていたかごから降りて歩き出す場面です。昔の人はかごに乗るときは脱いだ草履を懐に入れておきます。その草履を地面にそろえて、履いて、歩き出す動作になります。
 ところが、ある役者が手にしている草履が、どうしても草履に見えないわけです。そこにあるのはたしかに小道具の草履なのですが、役者の芝居が草履を草履であるように見せていないんです。
 草履を持つとき、草履を持つときなりの持ち方があるはずです。湯飲みを持つとき、ペンを持つときにも、それなりの動きがある。でも、そういう基本的なリアリティが欠けてしまっている。

稲越:ふだん草履を履く人がいませんからね。芝居で演じるときにも、それが現れてしまうのでしょうか。

おくだ:芝居を見る側にも問題があるとしたら、そういうところなんです。へんな草履の持ち方をしている役者がいても、客がそれに気づいて「おかしいよ」と感じるちからがなければ、役者は育たないと思います。

稲越:まず、いいものを見る訓練から始めるべきなのでしょうね。優れたものを見ないと、自分のなかのハードルが高くならないからです。何を見て感動するかによって、その人のレベルがわかっちゃうんですよ。文学でも、映画でも、お芝居でも。

目次

*11 野田秀樹さん
劇作家、演出家、俳優。1976年、劇団「夢の遊眠社」を結成。'92年に解散。歌舞伎の演出にも挑んでおり、中村勘三郎(当時・中村勘九郎)と組んだ「野田版 研辰の討たれ」「野田版ねずみ小僧」は歌舞伎ファン、演劇ファンにも絶賛された。

*12 中村勘三郎さん
当代きっての人気歌舞伎役者。中村勘九郎として活躍ののち、2005年十八代目中村勘三郎を襲名。襲名のニュースはワイドショーなどでも大きく取り上げられ話題に。息子・勘太郎、七之助も歌舞伎の世界で活躍中。

*13 中村福助さん
歌舞伎役者。女形。父は7代目・中村芝翫。

*14 「勧進帳」
歌舞伎十八番の人気演目。歌舞伎のなかでももっともポピュラーな演目で、義経と弁慶、富樫、3人の男たちの人情がしみる。