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いろんな場所でばったり出会うふたり

稲越:そうだ。おくださんとの出会いについて、お話しておかないとね。

おくだ:そうですね。
 稲越さんが参加されている俳句の会がありまして、そこに私も参加していました。その会のおひとりと私が知り合いだったことがまずひとつ。稲越さんが同じ会に参加していることを、まず私は知っていたわけです。
 直接知り合うことになったのは、そのあとのこと。
 中村吉右衛門さんが宮島で、野外に特設の舞台しつらえ、ご自分のオリジナルのお芝居を出したことがあります*4。その舞台の撮影を担当なさっていたのが稲越さん。
 私も見に行っていましてね。それで声をかけさせていただこうと思って、思い切って。句会が同じだということだけで、私のほうから話しかけさせていただいていたんです。
 もちろん稲越さんが中村吉右衛門さんの写真をお撮りになっていることは存じていましたから、お話ししたかったんですね。それが最初のきっかけでした。もう7〜8年ぐらい前のことです。
 その後、不思議なことが立て続けにありました。ふらっと出かけていく芝居や映画館で、稲越さんとばったり会うんですよ。

稲越:そうそう。おくださんもよく来ているなぁと思った。あのときも会ったんじゃないかな、串田和美さんと緒方拳さんの……

おくだ:そうそう、「ゴドーを待ちながら」*5。あと、「ラスト・タンゴ・イン・パリ」*6をリバイバル上映しているときも。渋谷の小さな映画館にいたら、稲越さんもいらっしゃった。あとはヘンな演出の「ドン・ジョバンニ」*7のオペラを見に行ったときとか(笑)。

稲越:そう言う意味では共通項がお互いにあるんだなと思います。最近ちょっと勉強不足なんですけれど。

おくだ:稲越さんはそうやっていろんなことにアンテナを張って、いろんなものを見に行かれるわけですね。そういう姿勢には影響を受けます。
 私は歌舞伎の仕事をしていますが、やっぱり歌舞伎だけ見ているのでは、ダメなんですよ。自分のできる範囲で、いろんなものを積極的に仕込んでおかないと。それを歌舞伎の仕事に取り組んでいかないといけません。
 そういうふうにポジティブに取り組め得るようになったのは、本当に稲越さんに出会ってからなんですよ。ですから、すごく感謝しています。

稲越:仕事でも重なるところがありますよね。
 「日向嶋」という中村吉右衛門さんのお芝居*8でもね。そこでも、そのイヤホンガイド*9をおくださんがなさっていたんです。
 そのなかでおくださんの芝居の解説が面白かったのが、単に時代背景を説明するのではなく、ベトナム戦争の時代といまの日本の状況を重ねてみるお話があったりするんですよ。歌舞伎解説にとどまらない広がりが、おくださんにはありますよね。
 歌舞伎がなぜ発祥から400年経ったいまでもお客さんを呼べるのかというと、歌舞伎には普遍性があるわけなんですよね。古典なんだけれども、新しいという面がある。

おくだ:まさに芭蕉の「不易流行」*10の考え方そのままですよね。古いのに、まったく古くないという。

稲越:本物には普遍性があるということですね。

おくだ:歌舞伎はぼくが魅せられてしまった、好きになってしまった世界です。
 歌舞伎座では年間を通して歌舞伎が上演され、隆盛のようですが、まだ歌舞伎を見たことがないという人のほうが圧倒的に多いんですよね。

稲越:やっぱり中高年の方が中心の客層なのかな。
 野田秀樹さんや蜷川幸夫さんが演出なさるときは、若い演劇ファンが歌舞伎座に足をはこぶようですね。そうやって少しずつ客層に変化が出てくるんでしょうね。

目次

*4
1998年5月、厳島神社の特設会場で開かれた「宮島歌舞伎中村吉右衛門奉納公演」のこと。中村吉右衛門さんのほか、澤村宗十郎さん、中村福助さん、中村歌昇さんが出演した。

*5
S・ベケットの戯曲。ふたりの登場人物が、最後まで登場しない主人公「ゴドー」を待ち続けるという物語。串田和美・緒方拳のコンビで上演された「ゴドー」は絶賛された。

*6
ベルナルド・ベルトリッチ監督作品(1972年)。出演/マーロン・ブランド、マリア・シュナイダー。パリを舞台に展開される愛の物語。

*7
モーツァルトが作曲したオペラ。

*8
「日向嶋景清(ひにむかうしまのかげきよ)」。中村吉右衛門が松貫四の名で書き下ろし、2005年4月、四国・金比羅歌舞伎で初演した作品。同年11月、歌舞伎座でも上演された。

*9
舞台の進行に合わせて、あらすじ・配役・衣裳・道具・約束事などをタイミングよく解説してくれる。歌舞伎鑑賞の必需品。英語版解説も用意されている。イヤホンガイドの詳細はこちら(http://www.eg-gm.jp/eg/e_index.htm)へ。

*10
「不易流行」。蕉風俳諧の理念のひとつ。俳諧の特質は新しみにあり、その新しみを求めて変化を重ねていく「流行性」こそ「不易」の本質であるということ。