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人と人とがつくり出す「都市」という生き物

黒川:私もよくカメラで写真を撮ります。いまのカメラはボタンを押せば誰でも写真が撮れます。でも、プロの写真家とアマチュア写真家には、根本的な違いがあります。それは稲越さんの写真を拝見すればわかりますが、稲越さんは「こころ」で撮っているんです。レンズを通してカメラという機械を使っていますが、大切なのは撮る人のこころなんです。私たちアマチュアは、レンズで撮っているんです。この違いというのは決定的ですよ。
 私が稲越さんの写真を見るとき、いろいろなことを考えながら見ています。この写真を撮ったときは、どんな気持ちだったのかな、と。そのとき写真を見ているのではなくて、稲越さんの「こころ」を見ているような気がします。稲越さんがどういう目でこの風景を見ていたのか。その興味で稲越作品を拝見している。それが芸術作品だと思うんですね。
 いま、人間がそういうことを感じる力を失っています。建築も同様によくない影響を受けている。金儲け主義の時代になって、バブルになって、土地の値段が上がればそれはお札の枚数に換算される。住宅を買うときも3LDKにするべきか、4LDKにするかだけで迷ったりする。家づくりに自分の人生が反映されていない。心がない。記号だけで建物を買っている。その感覚は異常だと思うんですよ。

稲越:いまおっしゃったようにマンションを買う、家を買うというとき、ほとんどの人が空間だけを買っているようなんですね。それはどういうことかといいますと、そこに住むことによって、どういうふうに住みたいか、ここに住んだらどういうふうに生活が変わるだろうかというクリエーション(創造性)の部分が足りないと思います。

黒川:先日、英国王立建築家協会の会長ジャック・プリングさんが、ここで講演をしてくれました。最後にすばらしいことをおっしゃって、みんなで感動して拍手しました。彼はこう言ったんですよ。
 いまは建築家がばかにされている時代です。芸術家もばかにされています。いちばん尊敬されているのはお金持ちです。金持ち優遇の時代です。だけれど、私は「それは違う」と言いたい。すばらしいデザインの病院に運ばれた病人は、危篤だったとしても息を吹き返す。不登校の生徒が、すばらしいデザインの学校に出会ったことで、毎日楽しそうに登校するようになる。そして夫婦ケンカが絶えなかったふたりが、すばらしいデザインの住まいに入居したら、ほんとうに幸せになった。人はみなそれぞれが幸せにならないといけない。すばらしい病院、すばらしい学校、すばらしい家をつくって、みんな幸せになりましょう! と、そんなふうに語りかけてくれたんです。
 私は胸がきゅん…となってしまいました。稲越さんのおっしゃるとおり、空間だけを買うのではなく、そこに、こころを見いだすことですよね。幸せになれる家に住めれば幸せになれるんですから。そういう建物が集積して、ひとつの都市になっていくのが理想です。

稲越:私が東京で暮らし始めた若いころ、最初は4畳半の部屋を借りました。その部屋の風景は、いまでも残像のように脳裏に焼きついているんです。面積的にはとても小さな空間に過ぎないのですが、自分だけの空間としていまでも大切に思えるんですよ。建物には広い狭いの問題ではない、もっと大切なものを込めることができるはずです。日本の茶室というのも狭いですけれど、狭さのなかにも何か詰まっているものがあると思うんです。

黒川:「都市とは人なり」というのが私の考え方です。都市を外から眺めると、コンクリートの建物だらけかもしれません。でも、目をこらせば、東京には1800万もの人が住んでいて、泣いたり笑ったりしている。東京という街は、地方から多くの人が集まってきている。東京で一旗揚げよう、ここでなんとかものになってやろうという野心家が集まってくる。稲越功一を超える写真家になってやろうとかね、それでまだ芽が出ず貧乏している。いっぽうでヒルズ族のようにお金持ちになった人たちがいたりする。でも、その全体が東京なんです。
 大都市には大都市のライフスタイルがあります。ロンドン、パリ、ニューヨーク、東京のように、神経がきりきりと痛むような競争の世界、そして落ちこぼれのいる世界です。それと相反する地方都市というのは、みんなが助け合っている。みんなが生活を楽しんでいます。地方都市と大都市の違う匂いをお互いに保ちながら、街づくりを進めていきたいと思いますね。

稲越:ニューヨークという街は、いろんな国の人が集まっていて、いい意味でも悪い意味でも成り上がった人が大きな顔をしている。ものすごく自己主張が強い都市ですね。それがニューヨークという都市の魅力になっているんですよね。

マリ:東京も最近になって、いろんな国の言葉が聞こえてくるようになりましたね。見え方はインターナショナルでしたけれども、在り方としてはインターナショナルな街なのかどうか、ちょっと疑問に思うところがありました。でも、少しずつ変わってきているんですね。

稲越:国立新美術館やその周辺を撮影してみたのですが、この建物がもっている得も言われぬもの……厳しさであったり、やさしさであったり、それがまた時間帯によって微妙に変化していくのがわかりました。朝の光と夕方の光とでは、生き物のように大きく様相が変わるんです。
 建築に限らずいいものっていうのは「間」のつながりがいいんですよ。舞台などでも「間」がいいかどうか、これが一流かそうでないかを分ける。いい建築というのもそうだと思います。黒川先生がつくられたこの国立新美術館を撮影しながら、光と影の関係、演出は本当にすばらしいと感じ入りました。人を感動させられる「間」があるんです。
 頭で考えているだけでは、こんな建物はできないと思います。

マリ:黒川先生のおっしゃる「共生」のコンセプトもそうですが、人と人とのつながり、結びつきというものは大切ですよね。人が人を助け合う、都市の人間模様であったり。都市のハードの部分だけでは、人間の幸せはつくりだせるわけではありませんものね。

稲越:時代が進むに従って、そういう人間の根源的なものって、ものすごく重要になっていくと思います。黒川先生のような、「こころの職人」とでもいうようなお仕事によって、人と人との絆が強くなっていくような気がします。

マリ:つなげていくとか、つないでいくということが、これからますます重要になっていくのでしょう。占星術の言葉でいいますと、現代は「アクエリアスの時代」といわれています。これは簡単にいいますと、人々がリーダーに頼るのではなく、ひとりひとりが共生して、いっしょになってものごとに取り組んでいくようになる変化が起こるということなんです。みんな一人ひとりがもっている知恵やちからを出し合って、みんなで幸せになっていこうという時代への転換ですね。プラスの人もマイナスの人もいっしょになれる。継ぎ目のない「サークル」が完成するということです。
 今回、国立新美術館が誕生して、ビジュアルな作品を見て何かを感じ取り、そのエネルギーや感動をまたその人なりの方法で表現していくようになれば、すばらしいと思います。
 では、そろそろお時間ですので最後に黒川先生からひと言どうぞ。

黒川:今日はお越しいただきありがとうございました。今回、国立新美術館で私の展覧会「黒川紀章展─機械の時代から生命の時代へ─」を開催したのは、建築の展覧会でもこれだけ多くの人が来てくれるよ、ということを証明したかったからなんですね。それで私の友人である多方面の作家たちにもそれぞれの作品を持ち寄ってもらい、展示させていただきました。写真家の稲越さんにはセーヌ川の写真作品を出していただき、あるいは画家・千住博さんの絵画作品などを展示させてもらいました。みんな私の仲間であり、友人なのです。今日はその代表として稲越さんやマリ・クリスティーヌさんとお話ができてたいへんよかった。ありがとうございました。

(了)