いまこそ求められる「都市の共生」という考え方
マリ:稲越さんが最近なさったお仕事のなかで、とてもいいなと思ったのは、銀座の女性たちの写真集*2なんです。
稲越:銀座の老舗の女将や百貨店で働くOLさんまで、銀座という街で働く女性たちを撮影したのですが、あの仕事は、いままで仕事のなかでも労力を費やしました。というのも、登場する女性はすべて一般の女性たちなんです。モデルや女優、タレントではない。そういうふつうの女性を、そのままふつうに撮っては意味がないんですよ。
シリアスな写真表現をするときは、ふつうのままでもドキュメンタリー風の写真になるのですが、資生堂から出版する写真集で写真展も資生堂で行うことから、そこにはやはり「美」がないと作品として成立しません。
老舗の女将さんなんかはもう、店の顔ができあがっているんですね。さすが年輪がある。写真を撮ってもじつに決まるんです。でも若い人たちは、これから自分の顔をつくっていくのですから、ふつうに撮るだけではいけない。何か引き出してあげないといけない。それで撮った写真を見てもらったとき、「なんだか自分じゃないみたい!」と言ってもらえる写真を撮ることが、写真の職人としての技だと思っています。その作業の積み重ねでできた写真展であり作品集だったのです。
一人前の「顔」をつくっていくのが人生なわけですが、これは男性の場合は60歳ぐらいになると、まあなんとかなってしまう。でもね、女性が自分の顔をつくっていくのはなかなか難しいですよ。老舗の女将のように仕事に生きてきた女性は、何歳になってもいい顔をしていますよ。
マリ:稲越さんの作品を拝見しますと、年輪を重ねていない女性もそれなりにすごく何かある人のように、しっかりと写されていると感じました。
稲越:その言葉を待っていました(笑)。風土が人をつくるのと同じように、街も人をつくります。これはどういうことかというと、たとえば渋谷という街で働いている女性と、銀座で働いている女性とを比べてみると、2〜3年のあいだに顔が変わってしまうんですよ。銀座の顔、渋谷の顔、六本木の顔みたいなものになっていくようですね。
もっと広げて考えると、アメリカなど外国に何年か暮らしている日本人の知人と久しぶりに会うと、なんだかアメリカ人みたいな雰囲気になっている。アメリカ人が日本で何年か暮らしていると、どこか日本人っぽい雰囲気になっているといったことがありますよね。
マリ:黒川先生、そういう都市の貌(かお)ということについてはいかがですか? お感じになることはありますか?
黒川:都市の貌、街の貌というのは、やはりあるものですね。東京の場合、下町には下町の貌があります。田園調布にはそれなりの貌がある。浅草は浅草。東京のなかの「地方性」があると思うんですよ。
私が「都市学入門」*3という本を書いたとき、最初のページに「東京は300の小さな都市で成り立っている」と書いたんです。東京には小さな村がたくさんあって、それぞれが個性的なんだということですね。
月島は月島、向島は向島。建物が変わっても、そういう街の個性は大切にしていなかればならないと思うんですよ。やっぱり都市は変わっていくから、目に見えるものは完璧に生まれ変わらせることができるかもしれないけれども、根付いている庶民の感覚や過去の思い出は、土地に染みついているものです。建物が新しく変わっても消えるものではありません。でもこれを大事にしていかなくてはならないと思う。
それが「東京都」という巨大なまとまりになってしまうと、街の個性や生活の匂いが消えてしまう。意図的に消そうとしているような政治のあり方は、けしからんと思うわけです。
マリ:東京という街が、いまはすごく無機質な感じになってしまいましたよね。私の個人的な思い出ですが、ここ国立新美術館がある場所(自衛隊の跡地)は、GHQ(連合国の司令部)だった父の独身寮があったそうなんです。私が幼いころ、その古い建物を何度か身に連れて行ってくれたことがあるんですよ。
稲越:建築というのは生き物だと思うんですよ。よくない建築というのは、ただ空間を占領しているだけなんです。無機質な物質のかたまりです。でも、いい建築というのは、その場所に息づかいを感じさせてくれます。そのためにはその建物に住む人、その建物で過ごす人たちがちゃんと建物を活用してあげないと、いい建築になっていかないような気がしています。人が関わることで、後世に残る建築物になっていくのだと思います。
マリ:不思議とフランスのパリに行くと、おしゃれをしたくなります。なぜかというとパリの街並みや建物が、自分を引き立たせてくれるからなんです。それがニューヨークに行くとおしゃれよりも、もっと活動的に生きていきたくなる。そんなふうに都市が人間に影響を与え、語りかけてくれるような気がします。ですから建築や建築がつくり出す風景も大切なものだと思いますね。
稲越:パリという都市は、ちょうど世田谷区ぐらいの広さなんです。それにくらべると東京という都市は巨大すぎるのかもしれません。いま東京の街や風景が中途半端に見えてしまうのは、ここは渋谷、ここは世田谷という街の「表札」が見えていないからなんですよ。
そういう表札をしっかり見せれば、地方都市にはその地方独自の魅力があるのですから、へんに東京のマネをするような必要もないはずです。地方が活性化する街づくりができていない責任は国にもあると思います。
マリ:都市をブランディングする人、マスタービジョンを描く人がいないのかもしれませんね。パリを歩いていて本当に楽しいのは、昔ながらの建物のなかにポツンと近代的な建物、たとえばポンピドーセンターのような建物が、都市の風景としてマッチングしていことですね。古いものと新しいものがお互いに引き立て合っているんです。
稲越:東京が変わってしまった理由のひとつに、昔ながらの「頑固者」が少なくなったことが考えられると思います。パリがあれだけ昔の風情を残しているのは、パリの人が頑固者だからではないでしょうか。美しいと思った風景を頑固に守り通そうとする。頑固者がああいう都市をつくっているんです。頑固者がいなくなるから、都市から個性や意志のようなものが見えにくくなっているんです。
私もデビューしたときから、どんなことでもいいから頑固に「こだわり」をもつことが大事だと思っていました。どんなに反対されようと、自分のこだわりは譲らない。頑固に守るものがある。やがてそうやって守り抜いたこだわりは、時を経て開花するのではないでしょうか。
黒川:まさにそうですね。建築家という仕事は人様からお金をいただいて、建物をつくらせていただきます。人のものですから好き勝手につくっていいわけではない。建築家が頑固者だったらめちゃくちゃになります。環境や予算のことを考えたり、こういうものをつくりたいという建て主の考え方も取り入れていく。でも最終的にできあがった建物が人を感動させられたらいいなと思って仕事に取り組んでいます。そういう気持ちだけは頑として、それこそ頑固に持ち続けています。つまり無教養な意味の頑固ではない。相手のことを一生懸命に考える。でもそのなかで自分を見失わないという意味での頑固さなんです。
「共生」ということも、ある種の頑固さなのかもしれません。1960年に「共生」という言葉を考え出したのは私なのですが、それ以前にはそういう言葉がありませんでした。調和、共存、融合、妥協という言葉はあったけれど、私が伝えたいことを表せる言葉は日本語にはありませんでした。
男がいて女がいて、生物学的な違いを乗り越えて共生する。イスラムとキリスト教のように宗教観の違いを乗り越えて共生する。があるいはパリと日本のように文化や言語の違いを乗り越えていく。「共生」とは、根本的に違うもの同士が「違う」ということを認め合いながら、お互いがお互いを必要としている状態のことなんです。
共生とは「愛」と言い換えることもできます。男と女は違う生き物だけれども、「あなたがそこにいてほしい」という思いがわき起こるときがありますね。それが愛ではないでしょうか。世界中で起きている戦争や紛争には、愛がないんですよ。共生しようという考えがない。お互いが認め合わないと地球では生きていけません。共に生きていく。これが共生であり、愛であり、愛とは平和なんです。
稲越:いまもっとも必要なことですよね。この時代になってようやく個人個人が黒川先生のおっしゃる「共生」を受け止め始めるようになったと思います。
目次
- 1. 刻々と変化していく「都市の貌」
- 2. いまこそ求められる「都市の共生」という考え方
- 3. 人と人とがつくり出す「都市」という生き物
構成:溝口 努 写真:堺 亮太
*2
「女たちの銀座」(資生堂企業文化部刊)
「女性」というテーマを視点の中心として、銀座で輝き続ける女性たちの撮り下ろした作品。2006年8月〜10月、ハウス オブシセイドー(東京・銀座)で開催した写真展「女たちの銀座」の展示作品を収録している。
*3
「都市学入門─この東京、この列島を蘇生させる術」
(1973年、祥伝社刊)