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後編

 中国撮影旅行のおかげで、僕の肺は黄砂と疲労によるダメージを受けてしまいました。体調が万全でないとモノが見えないと思っていたのですが、自分が「負」の身体になって初めて見えて来るモノがあることに気付きました。確かに、若い頃の作品は感覚的に良いのですが、哲学が薄い。思索が感じられないのです。そういう意味では、最近になってようやく、いろいろなモノの本質が見えてきたように思います。

 そう言えば、シルクロードでも不思議な体験をしました。8時間走って、そのうち5時間20分は延々と同じ風景が続きます。最初の1時間位は退屈していたのですが、それを越えたあたりで、僕の目に映っているのは荒涼たる砂漠なのに、僕の心には故郷高山で過ごした少年時代や雪景色が浮かんできたのです。僕自身が無になるーパリの教会で体験した感覚と似たものでした。
 物質的に豊かな日本から、中国の、それもシルクロードの寒村を訪れたりすると、僕らが子供だった頃の暮らしを思い起こします。現在の自分自身を深く反省させられ、本質的な豊かさとは何なのかを考えさせられます。

僕の作品に、草原にひとり佇む少年の写真があります。

その少年の着物はおそらく一度も洗われていないんですが、でも、汚いとか古いとかを越えて、それが少年の皮膚に一部にように感じられる。モノって、こういう時に光り輝いて見えるんですね。
 自然も歴史の壮大な中国では、悠久の時の流れの中で、自分はどのように美を見出すかが課題になります。合わせ鏡ではないけど、美と対話することが必要になる。僕の意識が感動した時、それを美しいと感じることができたなら、それが何であれ、その思いも含めて、僕は写真に表現しているつもりです。

 ヨーロッパ、中国と旅をして、最近の僕は、芭蕉の「奥の細道」を辿っています。僕自身も60歳を越え、パリを撮っていた40代の頃と比べると、自分の気持ちや思いが、ようやく作品にも表現できるようになってきたと思っています。
 ひとりの表現者にとって、何十年という時間には変革があります。ピカソにしても、リアリズムを追求した「青の時代」があったからこそ、「泣く女」や「ゲルニカ」が生まれたのだし、モネが描いた晩年の大作「睡蓮」には、若い頃の彼の絵からは感じられない、視力が衰えたからこその苦悩が塗りこめられているように思えます。
僕も、何十年という写真家としての道を歩いて来て、いろいろと変遷がありましたが、ようやく何かが見えて来た途中というところでしょうか。感動を忘れたらリタイヤすべきでしょうけれど、感動する心がある限り表現者として作品を創り続けていたいし、そういう意味では、90歳の僕も存在すると思っています。そのモノへの温かい思いが、すべての「美しい」のルーツではないでしょうか。

(了)