ARTICLES

この記事は、2008年4月にNHK文化センターで行われた講義
「美について」の内容を元に、再構成したものです。

前編

 何を美しいと感じるかは、その人の意識によって違うと思います。モノであればそのモノへの想い、人であれば愛情が、美しいと認識させてくれるのではないでしょうか。
 小林秀雄の文章に、彼がとても気に入っているロンドンで買ったアンティークのライターにまつわる一説があります。彼のもとを訪れる編集者たちは、「いいライターですね」と褒めながら煙草に火を点けるのですが、それ以上のことを誰ひとりとして聞こうとはしない。ライターに対する思い入れは、彼本人にしかわからないというお話です。
 僕にしても、71年から35年間、原宿アパートメントに事務所を構えているのですが、何の変哲もない小物や部屋全体の佇まいなど、何もかもに愛着があります。古くて小さな事務所ですが、最初に入居した時のドキドキした気持がよみがえってきて、僕はこの事務所を本当に気に入っているし、僕の意識のなかでは美しいスペースでもあるのです。
 僕が美しいと感じるモノについて、お話することにしましょう。

 若い頃から僕は、ヨーロッパ、特にパリに惹かれていました。パリには中世の石畳がそのまま残っていて、現在も使われています。石畳は長年の歴史を経て歪に凹んでいますが、そこには何とも言えない趣が漂っています。その凹みや趣も含めて、人はこの石畳を美しいと感じるはずです。ルーブルと言えば、最近ではガラスの建築が有名ですが、僕はむしろ昔のルーブルが好きです。「安らぐ」ということで言えば、古い建物のほうが僕にとっては美しい。つまり、未来にわたって建築としての気品を持続できるか否かを考える時、美の本質がどこにあるのかを見極めることは、非常に難しいということです。

 感動ということで言えば、不思議な体験をしたことがあります。ある教会に撮影で通った時のこと。その荘厳な雰囲気の中で佇んでいると、いつしか自分が無になって、子供の頃のことなどがフラッシュバックのように浮かんできたのです。それは既視感とも違った感覚で、僕の内なるモノを呼び覚ますような体験でした。教会で体感した感動が、僕の意識を覚醒させたのかもしれません。この体験が、ある意味で自分の制作活動の支えになっています。

 こうして僕は、40歳代、ヨーロッパの文化に啓発され、多くの写真を撮り続けていたのですが、ある時、それではいけないと思い直して、意識的にアジアに目を向け、中国を撮ることにしたのです。元々アジアの風土を好きになれなかったこともあって、最初の2年間は嫌でたまらなかった。どうしてこんなところへ来てしまったんだろうと、情けない気持ちでいっぱいでした。ところが何年も通っているうちに、何時しか雄大な自然にすっかり魅せられ、神が創った自然美が何よりも美しいと感じられるようなったのです。天山山脈は5分ごとに景色を変え、何時間見ていて飽きることがありません。孫悟空で有名な火焔山は、光が強く当たると山自体が怒っているようなのに、日が陰ると瞑想しているようにも見えます。そんな風に自然を感じることができるようになって、「こんな自分もいいのかな…」などと、思えるようになりました。

INDEX